最後の客を見送ったティエラは、商品が並ぶ棚を見て、どの品がどの程度残っているかを確認する。
傷の治りを速める効果しかない傷薬や、高級回復薬に分類される7級回復薬はまだ十分残っていた。
使い勝手が良くないせいだろう。
現在1番人気の商品は、中間の効果を持つ8級、9級の回復薬。冒険に出るならひとつは持っておきたいと思う手ごろな商品だ。
「残りは2本か。作っておいたほうがいいわね」
カウンターに『御用の方は声をかけてください』と書かれた立て札を置き、ティエラは錬成室へ向かった。
「ヒルク草と浄化水、あとは魔石の粉末が少し……っと」
乾燥させたヒルク草に魔石の粉末を混ぜ、浄化水を加えながら加熱する。すると、浄化水にヒルク草と魔石の粉末が溶け、全体が薄い青色に変わる。
溶け残りがないことを確認すると、ティエラは縦20セメル、直径1セメルほどの円柱型の瓶に、一定量ずつ流し込んでいった。
あとは蓋をすれば完成だ。
「こんなに簡単に出来ちゃうと、自分の腕を過信しそうだわ」
30分とかからずに完成した8級回復薬を見て、ティエラは小さくため息をついた。
月の祠にある錬成室の設備は、どれも最高級の品である。
当然性能も折り紙つきで、錬金術師として修練を始めたばかりのティエラでも、よほど相性の悪い組み合わせでもないかぎり失敗することはなかった。
しかし道具が一般的なものなら、今のティエラの腕前では丸1日以上かかるのが普通なのだ。
故郷の錬金術師の苦労話を聞いたことがあったのと、店長代理であるシュニーの手際の良さを見ていたので、ティエラはどうにか慢心せずにいられた。
続けて9級回復薬を作り終えたところで、店のほうから声がかかり、足早に戻る。
「お待たせしました」
「やあ、ティエラさん。今日もいい毛並みだね」
カウンターの前にいたのは、常連である猫人族の男だった。
ティエラに気があるらしく、よく店を訪れる。ただし、彼が見ているのはシュニーが作り出した、猫人族の姿をしたティエラの幻影なのだが……。
「ごめんね、ティエラ。リーダーがしつこくって」
猫人族の女が、やれやれといった表情で話しかけてくる。男と同じパーティに所属していて、今ではすっかり顔なじみだ。
ティエラは軽く店を見回すも、彼らと同じパーティの狼人族の男やドワーフの男の姿はなかった。
「ご贔屓にしてもらっていますから。いつものですか?」
「今日はティエラさんにお願いがあってきたんです!」
営業スマイルを浮かべて尋ねたティエラに、男性は真剣な顔で告げる。その眼を見て、ティエラは「またか」と思った。
故郷でもそうだったが、ティエラは美形ぞろいのエルフの中でも、一際美しいと称されることが多い。
月の祠の店番を任されるようになると、告白されたり、食事やデートに誘われたりすることが、日常茶飯事となったのである。
そのことごとくを断っているため、今ではお誘いも鳴りを潜めつつある。それでも、この男のように諦めない者もいた。
「すみません。そういったお誘いは受けられないんです。それに、あなたのことは弟みたいに思っているので」
エルフとビーストでは寿命が桁違いだ。
実際、ティエラは男が駆け出し冒険者だったころから知っていて、成長した今でも、やんちゃな弟という印象が強い。
ティエラの返答を聞き床に崩れ落ちた男に対し、仲間の女が「だから言ったでしょうに」と肩を叩いていた。
ティエラが誘いを受けない表向きの理由は、月の祠に属している自分が特定の誰かと親密になると、シュニーに迷惑がかかるかもしれないからだ。
しかし実際は、自分と行動を共にした人を危険にさらしてしまうからだ。
シュニーならばともかく、普通の冒険者では、ティエラの呪いによって引き寄せられたモンスターを倒すのは難しい。
自分のせいで誰かが傷つく光景など、ティエラは2度と見たくなかった。
何より、モンスターを呼び寄せる呪いのことを知った相手が自分をどう思うか。それを考えるのが怖かった。
自分を見る故郷の皆の目が、化け物を見る目に変わった瞬間の恐怖は、50年たった今でもティエラの心に突き刺さったままなのだ。
「はぁ……」
カウンターに身を預け、頬杖をついてティエラは窓の外に目を向ける。
雲ひとつない空の下、降り注ぐ光が周囲の木々を照らしていた。
気分を変えようと、ティエラは店の外に出た。
目を閉じて日の光を浴び、風が頬を撫でていくのを感じた。思わずかすかな笑みが浮かぶ。
扉は開け放ったまま、目蓋を上げると、思わず視線を地面に向けてしまう。
周囲に広がる林と月の祠の、ちょうど中間あたりに、月の祠を守る結界の境界線がある。そして、そこまでがティエラの出歩ける範囲だった。
それ以上進めば、どんなモンスターが湧いて出るかわかったものではない。なにより、出現したモンスターは問答無用で襲いかかってくる。
ため息をひとつついて、ティエラは月の祠に取って返した。境界までまだ距離はあるが、ティエラの足はそれ以上踏み出すことを拒否していた。
「お菓子でも作ろう」
ティエラは気を紛らわすため、菓子を作ることにした。
菓子は今では、店の売り上げ上位の人気商品。補充しておいて損はないと、自分に言い聞かせるようにしてキッチンへ向かう。
材料を計量し、練り、焼き、透明な袋で包み、小さなリボンで口を閉じる。
甘味の少ないこの世界で、ティエラの作る蜂蜜入りのキャファル――シュニーはフィナンシェと呼んでいた――は、男女問わず好まれた。
子供のいる冒険者は、わざわざキャファルだけを買いに来ることもあるくらいだ。
「よし、あとは棚に置いておけばいいわね」
美味しかったと言ってくれる人たちの顔を思い浮かべると、ティエラは胸の内が温かくなる。
特別な力に頼らなくても、誰かを笑顔にできる。それが嬉しかった。
「……しまった。店番、店番」
菓子作りの最中、客は誰も来なかったようだが、だからといって店を長時間、無人にしていいわけではない。
つい夢中になってしまったと反省して、ティエラは改めてカウンターに備え付けられた椅子に腰かけた。
すると、まるで狙ったかのようなタイミングで、店の扉が開く。
現れたベイルリヒト王国の鎧を着た男の話を聞き、ティエラはシュニーを呼びに行くことにした。
客の相手をして、商品の管理をして、技術を磨いて……ひたすらそれらを繰り返す。
やることは同じでも、少しだけ違う毎日を生きる。
シュニーが呪いを解く方法を見つけてくれるのを待つ日々。
移り変わる季節と、現れてはいなくなる人々を見守る日々。
そんな毎日が唐突に終わりを告げることを、ティエラはまだ、知らない。